法楽寺について

法楽寺の歴史

法楽寺の縁起については、播州犬寺物語を参照ください。

開山は法道仙人といわれております。過去に三度の野火が迫るが、千手観音の霊験か伽藍に被害はありませんでした。そのことが桓武天皇のお耳に達し官寺とされ、その後姫路藩主池田輝政公より三十石永代黒印、徳川家光公より三十石朱印をいただいております。                

法楽寺のご本尊

法楽寺のご本尊は枚夫長者の念持仏であった「観音菩薩像」を胎内に納めているとされる十一面千手観世音菩薩立像です。秘仏で三十三年ごとの御開帳。

脇士は不動明王、毘沙門天。

文化財

兵庫県指定
本堂(享保14年) 春日社(17世紀中期)

神河町指定
鐘楼(元禄17年) 鐘(慶長9年) 
庫裏(文政2年)  開山堂(17世紀後期)
山門(18世紀中期)

その他
枚夫長者座像 法道仙人立像
八祖十二天軸 十六善神軸 二十八部衆額

播磨西国観音霊場

 常光寺中興の大悲弘済禅師南室大和尚(1591~1671)によって寛文年間(1661~1669)にはじめられたといわれています。
 南室大和尚は、西国霊場巡礼は大変遠く、また不便なため、幼女老男には困難であると考えられました。書写山の観世音に祈り、夢のお告げからこの三十三カ所の霊場を定め、播磨西国と名付けられ、自作の御詠歌を奉納されました。以来、播磨西国の巡拝が続けられるようになりました。
 一番圓教寺より三十三番一乗寺まで全行程約385,5㎞。西国観音霊場が約1000㎞ということを考えると、当時では大変画期的であったと考えられます。

 当寺は播磨西国第十五番札所です。

御詠歌

めぐりきて いくよのたねを めぐりつつ

のりのたのしみ たえぬいぬでら