法楽寺の歴史
法楽寺のご本尊
法楽寺のご本尊は枚夫長者の念持仏であった「観音菩薩像」を胎内に納めているとされる十一面千手観世音菩薩立像です。秘仏で三十三年ごとの御開帳。
脇士は不動明王、毘沙門天。
文化財
播磨西国観音霊場
常光寺中興の大悲弘済禅師南室大和尚(1591~1671)によって寛文年間(1661~1669)にはじめられたといわれています。
南室大和尚は、西国霊場巡礼は大変遠く、また不便なため、幼女老男には困難であると考えられました。書写山の観世音に祈り、夢のお告げからこの三十三カ所の霊場を定め、播磨西国と名付けられ、自作の御詠歌を奉納されました。以来、播磨西国の巡拝が続けられるようになりました。
一番圓教寺より三十三番一乗寺まで全行程約385,5㎞。西国観音霊場が約1000㎞ということを考えると、当時では大変画期的であったと考えられます。
当寺は播磨西国第十五番札所です。
御詠歌
めぐりきて いくよのたねを めぐりつつ
のりのたのしみ たえぬいぬでら
法楽寺の縁起については、播州犬寺物語を参照ください。
開山は法道仙人といわれております。過去に三度の野火が迫るが、千手観音の霊験か伽藍に被害はありませんでした。そのことが桓武天皇のお耳に達し官寺とされ、その後姫路藩主池田輝政公より三十石永代黒印、徳川家光公より三十石朱印をいただいております。